2013年06月21日

「出世しました」から大きく外れた中身

台風一過で海を生業としている人間にもようやく普段の日常が戻りつつあるが、沖合ではまだまだ波が高くアギヤー漁はきょうまで休みなので、久しぶりに太鼓の話題でも。

次男が所属する「男塾 武Doo」。最近までジュニア用の青い衣装で演舞していた次男だったが、ようやく奴の念願が叶い中学生達先輩と同じ赤・黒衣装に出世したようだ。

それにともないジュニアチーム時代着物姿で踊っていた何とかという踊りも卒業することになった。個人的には太鼓よりもこの踊りがかわいくて好きだったのだけれど、一人だけ図体のでかいのがそれを踊っているのもちょっとかなって感じもするし。

いつまでも可愛い・かわいいと見ていたガキも年々成長していくし、今では次男ももう6年生。かわいいなんて言われ喜ぶ年齢でもないだろう。長男にもそうだったが、わたしが奴らに関わるのも小学生までと決めていた。

中学からは部活も学校教育の一環ということで、そこに親があれこれ口出ししてややっこしくなるのもどうかなって感じだよね。見ていると今の時代は親が強すぎて、先生達が遠慮がちで覇気が感じられない。

「出世しました」から大きく外れた中身

都会はどうだったか知らないがわれわれが中学や高校時代の先生は生徒に対して上から目線で、命令口調の教員なんてざらにいたよな。しかも生徒に対し暴言・体罰あたりまえだったし。

われわれ生徒側もそれを暴言・体罰だと重く受け止めないで、軽い気持ちでしか受け止めていなかった気がするけど。またそんな先生ほど情熱があって生徒に慕われていたような気がする。

しかもぶん殴る側の先生も誰彼無しにぶん殴っていたわけじゃないし、口で言っても解らないやんちゃな奴だけをぶん殴っていたはずだけど。親もまた自分の子が先生にぶん殴られても、理由も聞かずに殴られるようなことをしたおまえが悪いで終わっていたもんな。

いま思い返せばあのときの出来事は自分が悪かったんだけど、高校時代生活指導部の部屋に呼ばれて先生と口論となり、プロレスみたいに折りたたみ式のイスで殴られ、逆上したわたしは校長や担任までも巻き込んでその先生と大立ち回りを演じたことがある。

見事に制服の白いYシャツは殴られた事による出血で真っ赤になっているし、自宅に恐る恐る帰ったら、母親から上記のセリフを言われそれで終わったもんだ。

持論としたら教育に体罰はあっても良いと考える。これを読んでいる大人も自分らのその当時を思い返してみるといい。大人になってからの思考とあの当時の思考が同じだったかどうかを。

「出世しました」から大きく外れた中身

あの当時は客観的に物事を見る目を持たなくて、すべて世界は自分中心に回っているように感じていただろう。先生や親、大人目線の客観的な指導や注意なんて理解できなかっただろう。大人からして悪いと感じることもあの当時は屁とも感じなかったじゃないか。

周囲に迷惑を掛けないやんちゃなんて口だけで注意すれば良いし、周囲に迷惑を掛ける悪さは口で言っても理解しなければぶん殴れば良いし、口で言っても物事の善し悪しを理解しようとしなければ、体罰なんて甘っちょろい言葉ではなくて、そんな奴らには目には目をで「あいつには勝てん」と生徒に思わすような先生が恫喝すればおとなしくなる。実際みんながそうだった。

だから昔の学校にはそんな口で解らない生徒のために恫喝担当の先生がいたものな。ほとんどが体育の先生だったけど。しかもそんな先生に限ってやんちゃな奴からも学校中の普通の生徒からも人気があったし。要は慕われる先生は恫喝担当だろうが何だろうが、生徒に対して情熱を持って接していたかどうかがキーポイントだったけど。

ただしスポーツの指導には体罰はまったく必要ない。今朝のニュースで高野連に加盟する高校の監督にアンケートを採った結果が出ていたけど、約10%の監督が体罰を必要と考えているとのこと。そんな監督なんか即刻クビにしてしまえばいい。

スポーツの指導は口で言っても解らないやんちゃな奴をぶん殴るのと違って、言葉で指導し本人に考えさせる指導をするのがあたりまえだろう。運動能力は個々によって差があるのだから。ちょっと低い奴をぶん殴ってもそれで上手くなるわけがない。

選手を脅してビクビクさせながら指導すれば、上手くなることよりも恐さから怒られないようにしようと、それにばかり気をとられ上達なんかするわけがない。とにかく一にも二にも考えさせる練習方法で指導することだ。これわたしの持論。

「出世しました」から大きく外れた中身

とにかく親はまず先生方を信頼して子供を任せるべきだ。人間様々なタイプの人種がいるのだから、どこの学校でも中にはニュースなどで取り上げられるような、それこそモンスターティーチャーも数人はいることだろう。

わたしは教員という仕事は、親以外では子供達に多大な影響を及ぼす聖職だと考えている。大部分の先生方は情熱と誠意を持ってそんな聖職の道を選んでいるはずだから、そんなモンスターティーチャーを見て見ぬふりなんかしてほしくない。

逆にモンスターペアレントと呼ばれる親は、世の中のすべてが自分や子供中心に回っていると考える親が多いはずで、そんな親は我が子を可愛すぎるあまり、歪んだ方向へと導く親かもしれない。

塾だ習い事だとすべてを他人に押しつけ、それは親にはできないことだからいいとして、親が子供に最も教えなければいけない「思考力」、要は子供が自身で考え生き抜く力ということを教えていないからだ。

考えて生きていくガキは精神も強くなるだるし、仮に目の前に壁が立ちはだかったとしてもそれは乗り越えれば良いのか、回避すれば良いのか自分で判断ができるようになるだろう。

太鼓のことを書くつもりが、またまた話が大きく逸れちまったけど、生徒以上に先生達にのびのびと学校生活を送らせることができれば、生徒にも良い影響を与え、良い指導ができることだろう。また親があれこれ関わるよりも、自らで考え行動することが本来の生徒の姿だと思う。


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Posted by insherman at 15:18│Comments(0)男塾武-Doo
 
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