3000本の彼

insherman

2013年09月02日 22:51

ややっこしい海域で台風になったひねくれ者の影響でまた当分漁へは出られそうにもありません。そういうことなので以前漁でおこったハプニング特集です。

ある一人の男性が漁に興味があるので是非見学させて欲しいと、親分の元を尋ねてきた。そして当日漁場に向かいながらいろいろな話を伺った。

どうやら彼は学生時代とある大学で体育系のダイビング部に所属していたらしく、昔のことなので記憶も定かではないが、これまでに2000本だか3000本潜った経験があるとのこと。

そして彼もまたベテランダイバーにありがちな、安全性を考慮したセーフティーグッズをBC周りにいろいろぶら下げていた。中でも最大の疑問に感じたのがドラム式に巻かれた極細のロープ。洞窟の中を潜るわけでもないし、ただただ邪魔になるだけだろうとの思いもあったが、こちらにはまったく関係のないことなので何も訊かずにいた。

現在ダイビングを楽しむ若いダイバーにはまったく分からない話だと思うけど、昔からのダイバーの中にはやたらと器材にこだわる人が少なからずいた。

彼もそのように器材こだわるダイバーかは知るよしもないが、持参したフィンがロンディンというレアもののフィンで、その中でも特に長い方のフィンだった。このロンディンは現在プレミアが付いて物によってはン万円もする物もあるらしいとのこと。

漁場について獲物を探し網の設置も終わり、あとは追い込むだけ。追い込む前に彼に袋網の側で待っていろと話すと、潜りには自信があるので一緒に行かせて欲しいとのことだった。

母船が動き出してから彼に、いつでも飛び込めるように準備するようにと説明した。レジャーダイビングでは潜る前の点検を細かくするようにと教えているはずなので、彼もまた通常の点検を行いながら装備の着用に掛かった。

われわれの装備は仕事で邪魔になるので、ハーネスにレギュレーターのみ。さっさと準備できるので、彼が着用する間に追い込みポイントへ到着し、みんなそれぞれに海へと入っていった。

一応彼はわたしの手元へ置いておくことにしたので、早く来いと言い残しわたしも海へ入った。いつもなら入水した瞬間に潜っていくのだが、ちょっとだけ待つことにした。彼は走っている船から、レジャーダイビングで行うようなバックエントリーで入水しようとするし、電車の車掌じゃあるまいし指さし確認までしている。

かなりそんなこんなでこちらからしたらもたもたしているし、他のメンバーはその間にも先へ先へと潜っていくし、そのエントリー方法は危険だからそれはダメだと促し、足から入るように指示した。

入水した彼は今度はBCのエアーを抜いている。もうさすがに待てないので彼のことを一人残しわたしも他のメンバーを追いかけて潜っていった。残された彼はおそらくだろうけどそれで慌てたのかもしれない。



遅れを取り戻すための彼にはかなりのハンディがあった。BCやそれの周りに付いている数々の飾り物(セーフティーグッズ)。そして長くて固いフィン。

BCや飾り物は泳ぐときの抵抗になるし、長くて固いフィンはレジャーダイビングでのんびりゆったり泳ぐ分には最適かもしれないが、長い距離を速く泳ぐにはかなり不向きなはずだ。

獲物を追い込みながらも何度も後ろを振り返ってみても彼の姿はいっこうに見えてこない。追い込みも終え獲物の入った袋網を浮上させ、われわれが浮上する段階になっても彼の姿はどこにもなかった。

船上にもどり、袋網の獲物を母船に移しながら周囲を見渡しても彼の姿が見えない。まっそのうちどこかで浮上することだろうと気にも留めないで作業をしていると、船からはるか潮下の海面でオレンジ色の長い物体が水面から伸びていた。

彼を回収する以前にすべての船が各々の作業があるので彼の回収は後回し。仮にオレンジ色の何かが見えなかったとしても、そこはベテランのオジィ達。どちらの方角に流されるかは熟知している。

彼を回収してからあとから聞いた話だけど、浮上した彼はオレンジ色のセーフティーグッズを膨らませながら大声でも叫んでいたそうだ。しかもいっこうに自分に気がつかないわれわれに心配し船に向かって泳ぎ始めたとのこと。

この船に向かって泳ぐ行為そのものが、彼の体力を一気に失わせた原因でもあった。抵抗だらけの物を身にまとい、ましてや固くて長いフィンは水面を泳ぐのにまるっきり適していない。

すべての作業を終え彼を回収しに行くと、水面に浮いている彼の顔はパニック状態だった。冷静さを失っていた彼は、装備を身にまとった状態で船によじ登ろうとした。装備を身体から外させたが、彼にはすでに船に乗り込む体力も残っていなかったようだ。

船に引き上げてやるとおう吐を繰り返し、喋る気力も残っていなかったのかしばらくの間ぐったりとしていた。そんな彼の姿を見て申し訳なかったけど一同大爆笑。

しばらく経ってから落ち着きを取り戻した彼だが、頭痛がするとのことなので、そんな時はオジィ達の万能薬ピリン散の登場だ。ピリン散を飲ませてから彼に話を訊いてみた。

潜行してみるとわれわれとの距離はだいぶ開いており、距離を縮めるためにかなりの勢いで泳いでみたものの、距離は縮まるどころか、結果見えなくなってしまったらしい。

本人曰く、見えなくなった時点で浮上すればよかったものの、しばらく進めば出会えるだろうとの気持ちで泳いでみても、結局出会えず、エアーの残りも少なくなったので浮上してみたらまったく見当違いの場所で浮上したとのこと。彼はこれに懲りたのか、最後の漁では網の側で待っていた。

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